トピックス2(日本のお城データベース)
お城表紙へ
トピックス
表記について
蝦夷地
東山道
北陸道
東海道
畿内
山陰道
山陽道
南海道
西海道
琉球
既訪城郭一覧
メールを出す
  
TOPICS2!“日本の主要なお城”の現状

天守閣特集!!「今、日本のお城はどうなっているのか?」

掛川城

記録に残っている日本の城はなんと二万五千にも達すると言われています。

その中には、天守閣を備えた立派な城もあれば、柵で囲っただけの砦もあります。江戸時代の末期にはすでにその数は200を切り、その内天守閣があった城は70程しかなかったのです。

その中で、現在も残っているのはたったの12。「えー、もっとたくさんあるよ」と言うのもごもっとも。日本全国どこに行っても天守閣がありますからね。でも古くからの形をとどめているのはそれだけで、あとは復元、復興等後から建てられた物なんです。

さて、では今見ることのできる天守閣は昔から残っているのか、後から再現したものなのか、はたまた歴史的には全く関係の無いものなのか。

ということで、今見られる主要な天守閣約70をリストアップしてみます。

蝦夷地

築城年

城郭名称

状態

写真

1960 松前城 復元
東山道

築城年

城郭名称

状態

写真

1810 弘前城 現存(三層三階)
1966 三戸城 復元
1994 白石城 復元
1965 横手城 復元
1982 上山城 復元
1965 会津若松城 復元
1988 忍城 復元
1597頃 松本城 現存(五層六階)
1970 高島城 復元
1933 郡上八幡城 模擬天守
1959 大垣城 復元
1956 岐阜城 復元
1983 長浜城 復元
1606 彦根城 現存(三層三階)
北陸道

築城年

城郭名称

状態

写真

1993 高田城 復元
1954 富山城 復元
1576 丸岡城 現存(三層三階)
東海道

築城年

城郭名称

状態

写真

千葉城(猪鼻城) 模擬
1978 久留里城 復元
1975 大多喜城 復元
1982 館山城 復元
1960 小田原城 復元
1968 大野城 復元
1994 掛川城 復元
1958 浜松城 復元
1959 岡崎城 復元
1537? 犬山城 現存(三層六階)
1989 清洲城 模擬
1968 小牧山城 復元
1968 名古屋城 復元
1935 伊賀上野城 復元
畿内

築城年

城郭名称

状態

写真

1964 伏見桃山城 復元
1929 大阪城 復興
1954 岸和田城 模擬天守
山陰道

築城年

城郭名称

状態

写真

1986 福知山城 復元
1611 松江城 現存(五層六階)
山陽道

築城年

城郭名称

状態

写真

1609 姫路城 現存(五層七階)
1966 岡山城 復元
1966 福山城 復元
1683 備中松山城(高梁城) 現存(二層二階)
1958 広島城 復元
1962 岩国城 復元
南海道

築城年

城郭名称

状態

写真

1958 和歌山城 復元
1929 洲本城 復元
1643 丸亀城 現存(三層三階)
1980 今治城 復元
1854 松山城 現存(三層四階)
1748 高知城 現存(四層六階)
1665頃 宇和島城 現存(三層三階)
2004 大洲城 復元(四層四階)
西海道

築城年

城郭名称

状態

写真

1959 小倉城 模擬
1966 唐津城 復元
1962 平戸城 復元
1964 島原城 復元
1960 熊本城 復元
1964 中津城 復元
1970 杵築城 復元
琉球

築城年

城郭名称

状態

写真

1992 首里城 復元

日本のお城 知ってそうで知らなかったこんな事達
1.現存する最古の天守は本当に犬山城か?

1537年に造営された金山城天守を移築したと伝えられ、現存最古の木造建築遺構というのが定説化していたが、昭和40年に行われた解体修理で何と移築した形跡が全く見つからず、ほぼ完全に否定されてしまった。しかし、工法その他を検討した結果、下部は1537年、上部は江戸に入ってから増築、というのが有力な意見となっている。

つまり、完全な状態で現存する天守で最古のものはそれまで二番目と言われていた1576年に造営された丸岡城ということになる。

2.日本三大名城とは?

そんなの「大阪城」「姫路城」「熊本城」に決まってんじゃん。と思いました?

近世末に流行した番付表等によると、日本三大名城とは江戸城を別格として大阪城・名古屋城・熊本城の三城を言うのである。名古屋城が三名城に数えられるのは、家康による築城である事に加え、城郭として理想的な縄張りで、築城方法が優れているからであろう。

姫路城が三名城に加わるのは、近代以降のことなのである。

3.東北にある「要害」とは何か?

涌谷要害、舟岡要害、角田要害、金山要害など、21もの要害と呼ばれるものがあった。これは城ではないのだろうか。

地図を見て確認してみて欲しい。残っている要害はすべて同じ地域に固まっていないだろうか。そう、仙台藩の領域である。

これらは、実はあの独眼龍「伊達政宗」によってなされたまやかしなのである。政宗は、元和一国一城令に対し、伊達藩領60万石の内40万石を家臣団に与えることにより、白石城と一関城を支藩として存続させ、さらに戦国期以降続いている山城を“要害”と称し、21城を存続させた。幕藩制のもとで本城に加え、23もの支城・要害制度が明治6年まで存続していたことは異例中の異例といえる。

これは一種の法の網をくぐりぬける方法であったのかもしれない。政宗の政治手腕と大きな野望が見える話である。

4.北海道にあるチャシとか沖縄にあるグスクというのは何?

「『何?』って言われてもねえ、そんなの城のページなんだからお城のことに決まってるやん」とか言わないで下さい。

チャシ

アイヌ語のチャシとは、砦、館、柵、柵囲いといった意味で、ほぼ城と同義語である。ちなみに、チャシコツとは城跡と同義語と考えてよい。

もともとは、竪穴式住居がいくつか集まって小集落を作り、これを土塁、空堀、木柵で防備したもので、縄文、弥生初期に営まれた小集落くらいに考えていい。ただ、寒冷の土地柄、構造には多少の地域的特色があっただろう。

北海道教育委員会の調査では、現在約340ほどのチャシが知られているそうだが、人口の希薄さを考えても、北海道ほどの広さだからさらに多くのチャシがあったものと思われる。

グスク

琉球諸島は、本土文化圏と違った独自の琉球文化を形成している。奄美、沖縄諸島に分布するグスクは300余りと言われるが、グスクとは、石で囲まれた聖地であり、祖霊神ニライカナイの拝所なのである。さらに村落共同体の御嶽(うたき)としての役割もあり、今もほとんどのグスクで拝所・御嶽の機能が生きている。

独特のアーチ門は祖霊が海より拝所に現れるための入り口の役割を持っている。神の拠り所に武力・権力が城郭として軍略的防塁を構築、一体化したのである。

グスクの時代区分は@村落時代A按司時代B王国時代に分類できる。


日本の城を総合的に紹介するページリンク集
城郭フォーラム@nifty @niftyの城郭フォーラム(FSIRO)と連動した総合城郭ホームページ。中でも「F城版城郭大系」と謳っているFSIROデータベースはすごい。このデータ量には全くかなうべくもない。これからも使わせてもらいます。
日本のお城 日本全国のお城を回って撮った写真を掲載している渡邉さんのページ。その数なんと173。各城のページには地図も付いており、便利である。まさに日本のお城データベースの写真バージョンといえる。そこで渡邉さんのご厚意により、僕のデータベースから直接各城のページにリンクさせて頂いている。
お城めぐりFAN インターネットの双方向性を理想に近い形で実現している岡泰行さんのページ。OMF 小説・お城めぐり談話室・お城 NEWS・What's Old・OMF GAME・お城リンク集など。リンクでは僕のページへのリンクを、談話室では僕のコメントを載せて頂いている。
日本の城 金沢城、小松城、一乗谷城、丸岡城、 北庄城、福井城、小田原城、石垣山城、館山城、掛川城、駿府城、躑躅ケ崎館が紹介されているまことさんのページ。僕のページへのリンクを張って頂いている。
日本の城(中部地方) 中部地方の城を中心に32の城郭を紹介。森本・情家両氏による。
はたぼうさんの日本名城案内 湧谷城・仙台城・白石城・上山城・忍城・千葉城・小田原城・松本城・駿府城・掛川城・浜松城・岡崎城・名古屋城・清洲城・姫路城・小倉城の16城の紹介。写真が中心であるが、その撮影裏話のページなどもあり、面白い。
山ぽんのホームページ 兵庫県、岡山県、四国の20城郭を紹介。写真が豊富で、よく研究されている。
castles of japan カナダ生まれカナダ育ちの豊岡さんによる英語でのお城紹介。16の城を紹介。

ページC&Mホームページロゴ

お城トップページ   |   トピックス   |   データベースの歩き方   |   読み替え   |   既訪城郭一覧   |   掲示板

蝦夷地   |   東山道   |   北陸道   |   東海道   |   畿内   |   山陰道   |   山陽道   |   南海道   |   西海道   |   琉球

All produced by K.Sugiura