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城名 |
由来・遺構・エピソードなど |
和歌山城 近世 平山城 |
![]() 言うまでもなく徳川御三家紀州家の本城。1585年に秀吉が紀州征伐を行った際、若山と呼ばれる丘陵に弟秀長に築城させ、城代を桑山重晴とした。この時は緑泥片岩の野面積みであった。関ヶ原の合戦後、その戦功により浅野幸長が37万石で入城。石垣の修築を行うが、その時は打ち込み剥石垣で、刻印がある。その後浅野氏は広島に移封、家康の第10子頼宣が55.5万石で入城。1629年より砂の丸石垣、南の丸石垣に着手し、この時に打ち込み、切り込みが混然した壮大な石垣にした。曲輪塁上には大天守・小天守・乾櫓・二の門櫓・二の門があり、多聞櫓で結ばれる連立式天守であった。また、本丸と天守曲輪が双立した珍しい形態を取り、その麓に二の丸・南の丸・砂の丸・西の丸を配した典型的な平山城である。1846年には天守が焼失、五層天守をあげる計画を立てたが、幕府に対して遠慮し、旧来と同じ三層天守に甘んじた。昭和20年の空襲で天守は全焼し、現在見られるのはコンクリート製の再建。岡口門、狭間塀、追廻門が現存。本丸台所、多聞櫓は移築されて現存する。 *管理事務所 ![]()
少々辛口に過ぎるかもしれないが、正直「城っぽいものを見せられている」感覚だった。さらに、忍者押しがひどく、いろんなところに忍者が出てくる。売店の自動販売機では、ジュースを買うと、武士や忍者がしゃべる。外国人観光客はそういうのを好むのかもしれないが、もうテンションを上げようがない。 |
根来寺 | |
広城 | |
田辺城(C) 近世 水城 |
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湯浅城 | 武士団「湯浅党」が居城として1143年に築いた城。南北朝の頃には楠木氏の残党とともに南朝方として後村上天皇の孫「義有王」を迎え、戦っている。現在は土塁・空掘・井戸などが残る。城跡の前の敷地に天守閣型の国民宿舎が建てられているが、歴史的に何ら関連性はない。 *国民宿舎湯浅城のページ *和歌山watchingのページ ![]() |
手取城 戦国 山城 |
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田尻城 戦国 山城(810m) |
手取城の支城。和歌山では最も高いところに築かれた。 *和歌山watchingのページ |
平須賀城 戦国 山城 |
*松本さんのページ |
名杭城 戦国 山城 |
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新宮城(C) 近世 平山城 |
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赤木城 | *紀和町のページ |
城名 |
由来・遺構・エピソードなど |
洲本城 近世 平山城(133m) |
![]() *内橋さんのページ ![]() |
白巣城 戦国 山城 |
(エピソード)秀吉に攻撃にあい、山の上に城があるため竹の皮をしきつめて攻撃を逃れていたのですがそれが、あだとなり焼けうちにあい城は全焼したそうです。その時、大事な姫を井戸の中にある隠れ部屋に隠していて難を逃れたのですが・・・焼け野原となった後その姫も見つかり、首をはねられたそうです。(s.nakayaさんより) |
城名 |
由来・遺構・エピソードなど |
高松城 近世 海城 |
![]() 1588年、生駒親正が始め、改易の後松平頼重が入城し、引き継がれた。天守は南蛮造りといわれる三重五階で、五階目と一階目が大きく張り出す珍しい構造をしていた。また、月見櫓は元々着見櫓であり、船をそこにつけられるようになっており、城から直接船に乗ったり、船から直接城に入ったりできるようになっている。 *大島さんの旅行のページ ![]() |
丸亀城 近世 平山城(66.6m) |
![]() 1600年に生駒親正の起工であり、縄張りは麓と亀山からなる階郭・梯郭併用で、石垣の総高は日本一である。天守は1660年の造立、現存天守のうちもっとも小さいものである。 *山ぽんのホームページ *香川ネットのページ *内橋さんのページ *大島さんの旅行のページ ![]() |
天霧城 戦国 山城(360m) |
南北朝時代に讃岐の守護であった細川氏を補佐した四天王のひとつである「香川氏」が多度津本台山に居館を構え、その詰めの城として築いたのが始まりといわれる。その後200年余りの期間この城を中心に西讃岐一円を領したが、秀吉の四国征伐の後に廃城となった。現在でも郭、土塁、石垣、井戸などが残り、香川県では有数の規模と遺構を留める山城であるが、近年採掘等で保存状態が危ぶまれる城でもある。 |
屋島城 古代 山城 |
白村江の戦いで敗れた日本が造った五大城郭の一つ。(大野、基肄、長門、屋島、高安)![]() |
城名 |
由来・遺構・エピソードなど |
徳島城(C) 近世 平山城(61.9m) |
1586年に蜂須賀家政が築城。山部分を本丸・二の丸とし、麓を居館とする当城は山頂より一段低い東二の丸に三層天守をあげる特殊な構造であった。今日、現存建築物は特にないが、石垣や三之丸庭園は非常に美しい。 *徳島県のページ(博物館) *徳島大学のページ *吉野川のページ ![]() |
一宮城 南北朝 山城(144m) |
山頂一帯に石垣が整然と残り、四国を代表する山城である。南北朝時代に築城されたと言われ、小笠原氏の本拠地であった。秀吉の四国征伐の際には長宗我部元親の宿老谷忠澄がおり、秀長4万の軍勢と20日に渡って交戦したと伝えられる。残存石垣は蜂須賀氏入封の折の修復によるものである。 |
日和佐城 戦国 山城 |
*Telefax Networkのページ |
岡崎城 戦国 山城 |
*徳島県のページ(鳥居博物館)![]() |
宍喰城(ししくい) 戦国 山城 |
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川島城 近世 平城 |
*徳島中央広域連合のページ |
城名 |
由来・遺構・エピソードなど |
松山城 近世 平山城(132m) 日本百名城:81 |
![]() 当城は1602年に築城の名手加藤嘉明によって築城された。嘉明はこの地の中心であった湯築城・松前城といった城郭を破却し、石材や建物を移築したと伝えられる。ここには五層の大天守が上がったが、1642年に三層に改められ、それも1784年に落雷により焼失してしまった。現在残る天守は幕末に瀬戸内への外国船監視という名目で幕府の許可を得て1852年に再築されたもので、現存する天守の中では最も新しいものである。しかしそれだけに櫓19基、門20棟が現存し、高い現存率を誇る。 *公式 *松山市 *松山市公式観光WEBサイト
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湯築城 戦国 丘城 日本百名城:80 |
戦国大名河野氏の居城。![]() ![]()
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今治城 近世 海城 |
![]() *今治市 ![]() |
大洲城 近世 平山城 |
![]() 鎌倉時代末期、宇都宮氏によって築城され、大野氏・戸田氏などが入城。藤堂高虎・脇坂安治の時代に近世城郭として完成し、四重天守があげられた。それに現存する高欄櫓、台所櫓を多聞櫓で結んだ複合連結式天守であった。1617年、加藤氏が入封、明治まで在城した。 *大洲市 ![]() 若干残念な気持ちを持ちつつも、完全再現したという天守に入ってみた。最初に入ったところが歴史の重みを感じたので、あれ?と思ったのだが、どうも隣接する櫓は現存していて、そこに復元天守を繋げた形になっているようだった。天守の両側に現存櫓があり、その両方に入れるのである。これは逆に感動した。もちろん天守も感動しなかったわけではない。復元するのであれば、絶対に木で作ってもらいたいし、よくこれを木で作れたものだと思う。ただ、それでもやはり軽さを感じてしまう。我ながら無理を言っている。歴史を重ねれば重みが出るはずである。それでも全体的に言うと感動までは至らなかった。それは車道も影響しているのか。期待し過ぎていたせいもあるかもしれない。非常に良い城跡であるとは思うが、最上位レベルではない、そんな感覚だった。(H28.4.6) |
宇和島城 近世 平山城 |
![]() 築城は藤堂高虎、現存天守は伊達宗利が城主の時代、1662年からの修築工事で再建されたもので、装飾性が重んじられる層塔式天守である。 *宇和島市観光協会 *宇和島市 ![]() 駅から城に向かって歩いていくと途中で山の上に城が見え始め、入口の武家長屋門を入ると急な石段が続き、大規模な石垣が出現して、その間を登っていって、本丸に至り、本丸の一角に天守があって、というこのストーリー性が何とも言えない。石段をセメントで固めていることが若干残念ではあったが、雰囲気を壊すほどではない。 本丸では桜が満開で、一部花見客もいる中、天守の外観を観察した。行く前から感じていたのだが、この天守、人が笑っているように見えないだろうか。非常にユーモラスで、実際に見てもなお親しみを持てる城であった。 もちろん、天守の中も全く期待を裏切らない。現存天守ならではの歴史に裏付けられた重みと安定感。末永く保存していってもらいたいと心から思える城跡であった。(H28.4.6) |
大森城 戦国 山城(319m) |
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川之江城 室町 山城 |
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能島城 室町 水城 続日本百名城:178 |
![]() *今治地方観光協会
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因島城 室町 水城 |
因島には次男の村上吉豊が築城。 昭和58年に模擬天守閣が建てられたが、歴史的には何の関連性も無い。水軍ゆかりの資料が展示される。 |
来島城 室町 水城 |
来島には三男村上吉房が築城。この城も周囲850メートルの島全体を城塞化している。 *内橋さんのページ |
岩城亀山城 室町 水城 |
村上水軍の海城の一つ。岩城島に築かれた。 *山ぽんのホームページ |
城名 |
由来・遺構・エピソードなど |
高知城 近世 平山城(42m) |
![]() 高知山内家の本城である。前身は長宗我部氏の浦戸城で、黒鉄門はそのまま移築されたと伝えられる。1601年に高知に入国してきた山内一豊によって構築される。1727年に焼失するが20年後に望楼型天守として再建される。現在残るのはその時のもので、本丸が建築群ごと残る城郭としては全国で唯一高知城だけである。(姫路城は備前曲輪が明治に焼失している)天守は三重六階で、大壁づくりである。 *公式ページ ![]()
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岡豊城 戦国 平山城 |
![]() *高知県立歴史民俗資料館 *お城の旅日記 *城郭放浪記 ![]() いずれにしても、1時間以上ゆっくりと散策してもし足りないくらい。これほどよく遺構を残している戦国時代の城跡はあまりないと思われる。結論としては非常に良い。是非行くべき城の一つである。(H25.1.11) |
浦戸城 戦国 平山城 |
秀吉の四国征伐の後、長宗我部元親が岡豊城から居城を移した。関ヶ原の合戦後、山内一豊が入城したが、長宗我部氏の家臣が非常に反発したと言われる。一豊は間もなく高知城に居城を移し、廃城となった。 *高知県立坂本龍馬記念館 *高知市 ![]() |
中村城 戦国 平山城 |
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安芸城 近世 平山城 |
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