山陰道of日本のお城
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日本のお城データベース「山陰道」
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丹波(Yahoo!京都中部・兵庫北東部)

城名
時代・形態

由来・遺構・エピソードなど

篠山城(C)
近世
平山城
[篠山藩]
関ヶ原の合戦後、豊臣方の封じ込めと分断を目的に計画された。縄張りを行ったのは藤堂高虎で、今治・津・駿府城に酷似している。また、西国20家が助役を命ぜられた天下普請による築城であった。三の丸内に輪郭状に二の丸・本丸が形成されており、東側には天守曲輪があるが家康の命で大天守は上げられなかった。しかし三方の隅に二重小天守が上げられていた。本丸殿舎大書院が現存していたが残念なことに昭和19年に焼失している。
兵庫県のページ
山ぽんのホームページ
兵庫県産業情報センターのページ
城崎温泉に友達3人で旅行した帰りに時間があったので寄る。駅から近いのかと思いきや、バスでずいぶんと行かねばならなかったが、藤堂高虎の縄張りらしく安心して見ることができる。遺構としては石垣しか残っていないが、中は広く、素晴らしい城だった。(H8.3.19)
福知山城 [福知山藩]
明智光秀が横山城を改修して城代を入れた。朽木氏の居城。
京都府立工業高等学校のページ
休みの日に、特急(スーパーくろしお、特急城崎号)を乗り継いで家から約4時間かけて見に行った。まず電車から見て、外観に感嘆。福知山の駅から歩いて約十分、だんだん近づいてくる外観にやはり感嘆。ところが坂道を登り始めて?城内に入ってみて?これは城ではない。まず、曲輪が全く無い。石段はごく一部だけであとはらせん状の坂道。こんな城すぐに攻め落とされてしまう。また、内部はお粗末な展示と無機質な事務所といった感じ。うーん、外観見るだけでいいな、この城。(H11.2.14)
亀岡城(C)
近世
平城
[亀山藩]
室町時代、内藤氏が八木城の支城として砦を築いたのが始まり。豊臣秀勝、小早川秀秋を経て慶長15年、天下普請により大改修。
堀川欣明さんのページ
京都学園大学で久宝留理子のライブがあるというのでその最寄り駅だった亀岡駅近くにあった城跡に足を伸ばす。波多野氏を攻めた後に明智光秀が築城した城らしい。明治以降荒れ地となっていたこの地を本拠としたのが大本教教団で、弾圧により天守台が破壊されたりもしたが、同教団の手によって石垣が復元されている。城跡は現在も同教団の聖地であり、現に行った時も結婚式のような儀式をしていた。本丸跡に教団の建物が建っていてそれだけの城跡である。わざわざ見に行くには値しないと思われる。(H8.11.3)
柏原陣屋(A) [柏原藩]
信長の弟信包が初代藩主。その後信雄の子孫が明治まで10代2万石の藩を守った。小藩ではあるが、尚徳門が現存し、陣屋全体も史跡指定を受けている。
山ぽんのホームページ
綾部城(E)
戦国
平山城
[綾部藩]
波多野氏の重臣江田行範の居城。九鬼隆季が入封。
陣屋跡が小学校になっていて、その門が小学校の校門になっていると聞いて、わくわくしながら行ってみると、そこは城跡ではすでになかった。なんと大本教という宗教法人の所有するところとなり、お寺が建てられていた。結局城跡らしきものは全くなく、完全な無駄足。(H11.2.14)
園部城
近世
平山城
[園部藩]
元和五年から七年にかけて小出吉親が築城し、居城とした。
福知山、綾部に続いて見に行った。園部の駅から延々約20分歩いたところに園部高校がある。なんとその高校の正門が櫓門であり、二層の巽櫓が並存している。中には入れないが、こんな高校に通いたい。今更ながら。で、その奥を見ると、なんと天守閣がある。??いやこれは天守閣ではない。まず、櫓より位置が低く、また正面がガラス張りになっている。???近づいてみると、そこは園部公園の一角で、国際交流センターの建物なのだそうだ。歴史的には公園は詰の丸であり、その面影は無いものの、よく整備されたいい公園であった。(H11.2.14)
八上城
戦国
山城(459m)
[八上藩]
戦国大名波多野氏の居城。
山ぽんのホームページ
黒井城(D)
戦国
山城
波多野氏の重臣赤井直正の居城。和睦を進めていた明智光秀軍にあくまで屈せず、2度の戦いで大勝し、光秀は信長の叱責をかっている。3度目の攻撃でついに落城し、のちに亀山藩、柏原藩、武田越前之守に三分され、明治に至る。
山ぽんのホームページ

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丹後(Yahoo!京都北部)

城名
時代・形態

由来・遺構・エピソードなど

舞鶴城
近世
平城
[田辺藩]
細川藤孝による築城。関が原では西軍が包囲し、勅命により開城。牧野氏が9台200年在城。
宮津城(B)
近世
平城
[宮津藩]

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但馬(Yahoo!兵庫北部)

城名
時代・形態

由来・遺構・エピソードなど

出石城
戦国
山城(341m)(近世・平山城)
[出石藩]
兵庫県のページ
兵庫県のページ2
城之崎温泉に行く行き道で、昼食休憩に立ち寄った出石で昼飯を食わずに見に行く。これがまた寒くて特に城は雪だらけだった。景観としてはすばらしかったが、どこにも入れず、それだけではなく説明板すらなかった。でもま、雪の城跡を見れる機会はそう無いだろうし、よかったのではないだろうか。(H11.1.30)
山ぽんのホームページ
竹田城
戦国
山城(353m)
[竹田藩]
1443年に但馬守護職山名宗全が13年の歳月をかけて築城したといわれる山陰随一の山城。秀吉の但馬征伐の時に落城、赤松広英を最後に廃城となったが、穴太積みの見事な石垣と鳥が翼を広げたような縄張りが当時の様子を忍ばせている。その保存状態の良さが評価され、映画「天と地と」では上杉謙信の居城春日山城がこの地に再現され、ロケが行われたことで有名となった。
兵庫県のページ
和田山中学校のページ
ハチ北スキー場にスキーに行った帰り、道路から立派な城が見えたので矢も盾もたまらんくなってふらふらと立ち寄った城。スキーで疲れ切った友達3人は俺の犠牲に・・・(^^;;; 無論僕も痛いふくらはぎを引きずりながら登ったわけだが、この城がまたすごいかっこいい。「天と地と」の映画で春日山城のロケが行われたこともあってか整備が進んでいて360度全方向にその勇壮な姿を見せている。その天守台から見た景色と縄張りは言葉に表せないほど。山城ファンならずとも一度は見ておく価値のある城である。僕の中では完全に最高ランクにある城である。(H9.3.5)
波賀城
戦国
山城

石垣の構造から天正年間以前の成立と考えられる。二層の天守閣が平成2年に復元された。(写真とも池内さんのメールより)
八木城 [別所吉治領]

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因幡(Yahoo!鳥取東部)

城名
時代・形態

由来・遺構・エピソードなど

鳥取城
近世
山城(364m)
[鳥取藩]
守護山名氏が天神山城の出城を作ったのが始まり。家老の武田高信が城代となるが、天文17年反旗を翻し、本拠とする。山名豊国はこれを撃退し、その後ここを本拠とする。豊臣秀吉は12万の大群で兵糧攻めにし、落城させる。(鳥取城の渇殺)関が原以後は池田氏が12代在城。
鳥取県のページ
鹿野城
戦国
山城
[鹿野藩]
志加奴氏歴代の居城。尼子氏によって落城。秀吉によって攻略された後、池田市の領有するところとなるも、一国一城令で破却。
いなかーのページ
天神山城(D)
戦国
丘城
二神山城に代わる因幡守護山名氏の拠点「因幡守護所」。山名豊国のとき鳥取に本拠を移し、廃城。
二上山城(C)
戦国
山城
山名氏の第一の因幡守護所。天神山城へ移転後、毛利氏の拠点となるが、秀吉の鳥取城攻略後、垣屋氏の預かりとなり、その後廃城。
若桜城
戦国
山城
[若桜藩]
国人領主「矢部氏」累代の居城。尼子氏により落城、秀吉の攻略以後一国一城令で廃城。
桐山城 [浦住藩]

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伯耆(Yahoo!鳥取西部)

城名
時代・形態

由来・遺構・エピソードなど

米子城(C)
近世
平山城
[米子藩]
出雲の京極氏に対する前線砦として、伯耆守護の山名教之の配下によって築かれたのが始まり。尼子氏に攻略されたが、吉川元春が支配下におさめ、三男元家が月山富田城に入ったとき、不便な山城のため、この城を本拠として新城を構築。関が原以後は池田氏の家老荒尾氏が入り、230年在城。
「岡山のお城と町並み」
「デジタル大工」のページ
「山陽・山陰のお城」のページ
あまり期待せずにふらりと寄ったのだが、ほんとに来てよかったというのが感想。大手には枡形の石垣がきれいに残り、そこからは少し山道が続くのだが、本丸に入る少し前くらいから大型の石垣が複数現れる。それだけでも充分満足なのだが、本丸に入ると眼下に中海が、さらには大山などが一望できる。かつてはここに2つの天守が建っていたというのだから、当時はどんな眺めだったことだろうか。想像するだけでも楽しくなってくる。
私は麓の車に嫁と娘を待たせていたのだが、天守台のところで、ちょうど我が家と同じくらいの家族構成の見物者と出会った。我が家と同様、旦那が城好きなのだろうか・・・。それにしてもこういうところには一般の観光客はなかなかこないんだなー。(H15.9.9)
打吹山城
戦国
山城
羽衣石城(うえし) [羽衣石藩]
南条氏の居城。尼子氏の猛攻により落城するが、以後毛利氏に属し、城に復帰。
黒坂城 [黒坂藩]
八橋城 [矢橋藩]
尾高城 城郭は鎌倉時代に築かれ、室町時代は山名氏の、戦国時代初期には尼子氏の、戦国時代後期には毛利氏の支配下に入った。江戸時代初期に米子城が築城されるにいたり、廃城となった。
山中鹿之助が腹痛と偽って汲み取り口から脱出したエピソードは有名。
地図を見ていて、城跡マークを見つけて寄ってみた。着いてみてビックリしたのは、「尾高城の謎 夢の埋蔵金発掘探検トレジャーランド入口」という看板!(汗)なんだこりゃー!まぁそれはともかく、その横には建物の礎石跡や土塁空掘を見ることが出来た。小高い丘の上にあるのだとは思うが、すぐ横に学校があり、どうもあまり城跡という感じではなかった。しかし、トレジャーランドって???(H15.9.8)

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出雲(Yahoo!島根東部)

城名
時代・形態

由来・遺構・エピソードなど

松江城
近世
平山城
[松江藩]
〈天守〉
関ヶ原の合戦で徳川方に味方した堀尾吉晴は出雲一国を与えられ、戦国大名尼子氏の居城であった月山富田城に入城し、近世城郭に整備したが、麓を流れる富田川が度々氾濫し、城下町が水没するため、1607年当地に築城を開始、その四年後に完成した。本丸塁上には乾櫓・鉄砲櫓など六基が上がり、一段低い南側は二の丸として壮大な御殿と月見櫓・太鼓櫓など五基が上がった。さらに南側には三の丸として現在県舎となっている藩主邸を置き、北側には現在護国神社となっている上御殿が構えられた。しかし現在まで残る建築物は天守のみである。
松江市のページ
「松江城と周辺観光地案内」
山陰旅ネットのページ
非常に素晴らしい城だった。何もかもが素晴らしかったが、最もよかったのは周辺も含めた雰囲気。長い間、堀が水運として利用されていたということもあってかもしれないが、堀が非常によく残り、これを屋形船でめぐることができる。これに乗ってみると、周辺に武家屋敷をはじめ往時を偲べる雰囲気が多く残り、全体としての城を眺めることができる。こう言っては語弊があるのかもしれないが、町があまり発展しなかったからこそ、これだけの素晴らしい遺構を、これだけの規模で残せたのだろう。
城内ももちろん素晴らしかった。二の丸には2001年4月に木で忠実に復元されたという南櫓・中櫓・太鼓櫓の三基の櫓と塀がある。さらに本丸に上がると、別名「千鳥城」の天守が聳え立つ。天守に入ると、この灼熱の日に「ヒンヤリ」とした感触。現存する城独特である。地下の倉庫にある井戸や、四層目にあるトイレ。当然あってしかるべきなのだが、こうしたものはなかなか見れない。
いくつか難癖をつけるとすると、天守の中で、隅々を見ることが出来ないこと。安全を考慮してのこととは思うが、中心部で柵が切られていて端の方には行けないようにしてあるのだ。破風の中の狭い空間が趣深くて非常に好きな私としては、そうしたところがいけないのは残念だった。それから、大手門から二の丸に上がる階段が当時の石垣ではなかった。これも障害者の方などが観光される時のことを考慮した結果だとは思うが、これから盛り上がっていく時だけに、残念ではあった。
余談だが、天守の一番上で、ゆっくりと余韻に浸っている時。2歳半の娘も思った以上に楽しんでいて、走り回っていた。靴を脱いで観光するというのが、どこかの家にお邪魔したような感じで楽しいのか、我が娘であるからか、この旅行で一番というくらい喜んでいた。はしゃぎすぎてかどうか分からないが、そこでいきなりキバリ出した。何とオムツにうんちをしたのだ。これを機に、後ろ髪を引かれながら天守を後にしたことは言うまでもない・・・(H15.9.8)
月山富田城(D)
戦国
山城(197m)
広瀬町のページ
白鹿城
戦国
山城(150m)
三刀屋城 三刀屋町のページ

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石見 (Yahoo!島根西部)

城名
時代・形態

由来・遺構・エピソードなど

浜田城(C)
近世
平山城(70m)
[浜田藩]
浜田市のページ
津和野城
近世
山城
[津和野藩]
山吹城(B)
戦国
平山城

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隠岐 (Yahoo!島根隠岐島)

城名
時代・形態

由来・遺構・エピソードなど

甲ノ尾城
戦国
丘城
隠岐清政が築城、宮田城から移る。以後隠岐氏の居城となる。


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