少し考えてみればわかることだが、決済のような行為を行っているのは人間だけであることに気づく。人間はどうして何の根拠もない不安定な「決済」という行為を容認できたのだろうか。
人間の持つ特異な能力の一つに「シミュレーション能力」があると言われている。つまり、時間的には過去未来を、空間的には世界を空想し、どうなるだろうと予測することがある程度できるということである。時間・空間の認識範囲が拡大すると、自分や他人の将来の動きを予測・想定することができるようになる。他人の動きを想定できれば、安心して自分の得意な事に専念し、他人との分業によって社会は成立することができる。こうして分業が習熟を生み、習熟が生産能力を向上させると共に、この分業によって生産された物やサービスを交換するには交換価値を決める必要があり、それに基づいて決済という行為を容認していったのである。
これで、決済という行為がもともと人間の何の根拠もない暗黙の了解によるものであることが理解できた。社会が容認しさえすれば、どのような決済手段でも、その目的が達成される限り決済手段になりうる。だからこそ、これまで様々な決済手段が生まれ、消えていったのである。
第一章では高度情報化社会に向けて、現在の位置付けを行い、その可能性について述べてきたが、本章ではそうした時代における決済方法を模索するため、これまで行われてきた決済方法を概観し、それぞれの特徴や問題点を探っていきたい。
貨幣の歴史を概観した時、まず気づくのはその本質的性格には「モノ」から「情報」への流れがあるということである。その時代の流れはどのようにして決まってきたのだろうか。時代の流れに沿って見ていこうを思う。
古代貨幣
貨幣がどこから生まれたかは、何の証拠もなく、想像する他はない。最もわかりやすく、よく言われるのは物々交換から発生したとする考え方である。例えば、漁をする人と狩猟をする人がお互いに物々交換をして生活していたが、狩猟をする人が魚を食べたいと思っても漁をする人が獣を食べたくなければ物々交換は成立しない。そこでとりあえず魚の代わりに日持ちのする品物と交換しておいて、後日魚と交換できる機会を待つ方が合理的である。需要と供給のタイムラグを少しでも緩和する、古代の人々の知恵ということになろう。
貨幣の基本的な特徴の一つに、「貨幣そのものの持つ信用力」が必要であることが挙げられる。「日持ちのする品物」だといって、ただの石ころを貨幣に使うのはあまりにも信用できない。そこで選ばれたのが装飾品だった。古代の世界に共通するのは、呪術的要素が社会の中心になっていたことであると言えるだろう。そこでは、装飾品は呪術的な要素を持ち、そこに宿った精霊が、価値の交換という神秘な行為を保証した。こうして成立した古代貨幣は、人々に分業化を実現させ、生産力を強化させる原動力となった。
鋳造貨幣
巨大な宗教や国家が形成されてくると、そうした社会権力が強制力をもって信用力を付与しようとし始める。日本において初めて登場した鋳造貨幣は、周知の通り西暦708年に鋳造された和同開珎であり、それにしても政治権力の刻印が価値を創出しているようにみえる。しかし、むしろ貴金属フェティシズムと希少性という物自体の価値が信用力となっている部分が多い。政治権力は逆にそれを利用して自らの権力誇示の道具とした面すらある。むろん、発行主体の権力が大きくなってくると、権力者が信用力を付与する部分も多くなってくる。しかし本質的にはやはり物自体の価値が信用力となっており、その証拠に非希少金属の混入比を上げるという悪貨鋳造が倫理的な面で常に問題視されたのである。
近代紙幣
経済活動が活発になり、鋳造貨幣だけでは円滑な経済活動ができなくなってきた時、それを解決する方法が模索され始めた。そこで生まれてきたのが手形などの信用決済であり、口座決済であったが、これらについては後述する。そして貨幣の面での解決方法が「物」から「情報」への性格変化だった。近代国家が成立するに至り、国家は中央銀行制度を確立し、国家が金や銀などの金属貨幣との兌換性を保証して紙幣を発行し始めた。これはあくまで兌換紙幣であり、信用力はいまだに物自体の価値にあるのだが、発行された紙幣が同時にすべて金属貨幣に交換されることは事実上ありえない。したがって、一定額の金属貨幣の準備があれば、その何倍もの紙幣を印刷することができる。中央銀行が信用を創造することによって、経済活動をさらに何倍にも膨らますことができるようになったのである。
その後、不換紙幣の登場によって通貨の信用基盤は完全に国家に移ることになる。これにより、通貨供給量が金属貨幣の準備量に全く依存しなくなったわけで、政府がこれを経済活動や景気動向によって自由に調整できるようになり、金融政策もとれるようになった。
電子マネー
このように、物々交換の手段としてできた古代貨幣はいつでもモノと替えることのできる媒介として発達し、それが単なる媒介物から同価値のある金属貨幣に変わり、それが兌換を保証された紙幣、そして兌換保証を失った紙幣へと変わってきたことになる。つまり、物々交換では「本物」の品物が貨幣の役割を果たし、その後品物の「代わり」が役割を果たすようになり、さらに「本物」の金属に移り、そして金属の「代わり」である兌換紙幣が生まれ、今や不換紙幣がそれ自体「本物」の貨幣になってしまっている。“電子マネー”がもし現金の役割を果たすようになるとすれば、さらに貨幣の「代わり」として普及し、そしてまたそれが「本物」の貨幣となるという道を歩むであろう。貨幣の歴史は「本物」の貨幣の単なる「代わり」がそれ自体で「本物」の貨幣になることの繰り返しであると言えるのではないだろうか。電子マネーの詳細については第三章に譲ることにする。
手形決済
(手形の特色)
手形は権利の発生、移転および行使のいずれにおいても、必ず手形そのものが必要になることから、完全な有価証券であるといわれている。約束手形であれ、為替手形であれ、いずれも手形としてこうした特色を持っている。例えば、約束手形を例にとってみれば、約束手形には振出し人に対する権利が付与されているが、この権利は約束手形の作成によって始めて発生し、権利を譲渡するためには約束手形という証券を相手方に交付しなければならない。さらに、約束手形上の権利を行使して手形金を請求するためには、必ず約束手形という証券を、債務者である振出し人に提示しなくてはならず、呈示がなされないで手形金の請求がされたとしても、それは権利の行使としての効果を発生しないので、振出し人もこの請求に応じる必要はない。
こうしたことが手形の特色として言えるのだが、これはどういうことを意味しているだろうか。まず、手形がどうして決済方法として定着していったのか、その理由を探る時に、こうした有価証券的性格からくる不正に対する安全性の高さは特筆すべきものであろう。
その他に手形が決済方法として好まれた理由としては、現金決済の煩雑さの解消である。多種多様な形で、お互いに結びついて果てしなく続いている商取引をいちいち現金のやり取りで決済するとすると、その現金を間違いなく計算し、相手方もこれを確認するという作業を、商取引ごとに繰り返さなければならない。経済活動の規模が大きくなればなるほど、取引の迅速さが求められ、そこから手形のニーズが発生したのである。手形ならば、取引金額を記入した手形をやり取りするだけで取引の決済が完了できる。金額がどれほど大きくなっても、手形ならばそのために面倒が増えることはない。
また、経済活動の規模の拡大に伴う通貨供給量の不足もある。手形は、裏書きという方法で人から人へと渡り、その間にいろいろな取引の決済などの働きをすることができる。その間に手形は多くの取引の決済を現金という決済方法を用いないで完了している。そのことで通貨供給量以上の経済活動ができるようになったのである。
しかしこのこれらの特色は、手形の限界を示す結果にもなる。その流通能力により、手形の支払いをする人には、支払期日に手形を持っていて手形金額の支払請求をする人が誰なのかは、手形の呈示を受けない限り分からなくなってしまう。手形の流通が盛んになると、銀行が、支払いをする人と支払いを受ける人の双方から手形の決済事務を頼まれるようになり、この決済事務を便利に行うため、たくさんの銀行が集まって手形交換所というものを設けている。銀行は手形の所持人から預かった手形を、手形交換所に持ちよってお互いに自分のところが支払いを委託された手形を交換し合い、手形の決済を行っている。現金決済の煩雑性の回避は、その煩雑性を銀行に転嫁したに過ぎないとも考えられるのである。
こうして考えてくると、手形の持つ最大の特色はその安全性ということになろう。ただ、それについても信用証券として数ヶ月単位で満期になって支払われるものであり、盗難・紛失に伴う危険はついてまわっていることになる。また、その流通期間の長さは、不渡りの可能性を増大させ、決済の即時性を奪っている。さらに、最近のデータ通信網の発達により、振り込み等の口座決済が最も簡便な手段として利用されるようになってきており、その迅速性と確実性に押されつつあるというのが現状のようだ。
(手形の歴史)
手形が使われ始めたのは12世紀頃、イタリアおよびその他の地中海沿岸の諸都市で両替商が使い始めたというのが通説になっている。当時のイタリア半島はヨーロッパ文明の中心地であると同時に、東方諸国と西ヨーロッパとを結ぶ交通の重要な接点だったが、地中海貿易の支配権を巡って各都市国家が争っていた時代でもあり、各都市国家の貨幣は流通を制限され、金銀貨の流出も禁止されていた。そこで異なった都市国家に住む商人の間では、何らかの方法で貨幣の両替、送金をする必要があり、それが手形を利用する原因になった。つまり、当時すでに両替商が生まれており、各都市国家の両替商の間に団体が作られていて、お互いに取引関係を持っていたので、商人が他地へ送金する場合には自分の都市の両替商にその地の貨幣を支払って、両替商から送金先の貨幣で支払う旨の証書をもらい、これを取引の相手方に送ってやると証書と引き換えにそこの両替商から支払いを受けられるというやり方だった。この方法では、費用も手間もかかり、あまり便利とはいえないものだったが、この方法はこれ以降オランダやイギリスを中心に普及していくことになった。
日本でも、今日の手形に類する機能は「替銭」として、鎌倉時代から行われていた。替銭というのは、銭を交換するという意味で、これを「かわし」と読ませているが、最古の記録としては公安二年(1279年)のものが残っている。
手形という本来の意味は、読んで字の如く、「手の形」である。字の書けない人が何かを約束する時に、その証拠として手の形や指の形を押し写したことから始まったと言われている。鎌倉時代以降になると証文や通行札など印判を押す必要のある書類をすべて手形と呼んだようであるが、江戸時代になると今の意味でおおむね使われるようになる。
現在の手形制度は明治以降に欧米諸国から輸入したもので、日本独自の制度が発達したものではない。明治5年の国立銀行条例に基づく国立銀行が預金者に発行する振出手形は盛んに流通し、一時は紙幣と同じように通貨の役割を果たすまでになってきていた。国立銀行も150行を越え、発行の弊害が生じるようになって、明治12年には発行が制限されるようになって減少したが、当座預金勘定が創設されると、名前を「小切手」と変えて再び流通するようになった。
法律としては、明治15年に初めて為替手形、約束手形条例が設けられ、次いで明治23年の旧商法の中に手形および小切手に関する規定がおかれた。しかし実際に長い間適用されていたのは明治32年商法中の第4編手形の規定だった。第一次世界大戦後、国際連盟において、手形法・小切手法の統一問題が研究された結果、手形及び小切手の統一法を作るための条約が成立し、日本もこの条約に加わって国内法を改めることにした。すなわち、これまでの商法から切り離し、昭和7年に手形法、昭和8年に小切手法を制定し、いずれも昭和9年から施行している。これが今日の手形・小切手制度の根本となっている。
小切手決済
(小切手の特色)
小切手は、特色としては手形とほぼ同じものを持っている。では手形と比べてどのような働きをしているのか。
手形は信用証券であるが、小切手は支払い証券であると言われる。小切手の主な働きは現金の代わりに利用される支払手段なのである。そのため、小切手は手形と違って流通する期間は短く、普通振り出された日の翌日から10日間のうちに小切手の支払いを求めるため呈示することになっている。また、性格的には為替手形と似ており、自分が支払う約束をする形式は取らず、他人に支払いを依頼する形式を取る。ところが、その「他人」は預金業務を営んでいる“金融機関”でなければならず、小切手を利用するためには銀行と当座勘定取引をしていることが必要になる。つまり、小切手決済においては、口座決済としての性格を多く併せ持っているといえる。口座決済としての小切手決済については第三節で触れる。
つまり、小切手決済を選好する理由は、現金決済の煩雑さを解消することに加え、手形よりも流通期間を短くすることで、決済の即時性をより実現させたことにあると言える。さらに、振り込みと比べても銀行のシステムの制約にとらわれないため、システムの稼動時間以外でも決済を行える。
欠点としては、やはり不渡りの危険性が完全にはなくならないことと、取り扱うことによる煩雑性である。現金決済の煩雑さを解消するために生まれた方法も、その利用が増大しすぎるとそれが欠点になってしまうのだから皮肉なものである。
(パーソナルチェック)
これまでは主に企業の商取引の決済手段としての信用決済について見てきたが、個人の信用決済の方法としても、欧米を中心に小切手が消費生活上の支払いのために利用されている。これをパーソナルチェックと呼び、商取引用の当座勘定取引とはいくつかの点で異なっている。
まず、パーソナルチェックでは、記名捺印によらず、サインだけで振り出し、銀行はこのサインをあらかじめ届け出の署名鑑と照合する方法を取っている。サインは印影ほど恒常性を持たないため、照合が比較的難しいと言えるが、銀行が小切手支払いにあたり署名鑑との照合を相当の注意をもって行えば、偽造などの事故があっても免責される。
もう一つの特徴は、パーソナルチェックでは、当座勘定取引の本人以外に、配偶者など一定範囲の人に当座勘定の共同利用を認めている点だ。個人当座勘定の上ではこれを代理人としており、この代理人はいわば本人の当座勘定を利用するわけだから、その効果は当然本人におよぶ。
パーソナルチェックは、こうした方法により、個人の消費生活の広い範囲において決済を行えるようにしたもので、小切手の不正利用に対する安全性の高さを個人決済に流用したものだと言える。だから、安全性のニーズの高い欧米で広く普及し、現在でも日常的に行われている方法である。しかしその利用が増大しすぎた結果、小切手の利用をできるだけ少なくするための工夫、努力がなされているほどで、新しい決済手段への移行が進んでいるというのが現状である。
販売信用
販売信用とは、「消費目的のために財貨・サービスの購入を行う個人に対して、その支払いを一定期間猶予する取引形態」と定義することができる。現在行われているサービスでは、クレジットカードがそれにあたると考えたらよいだろう。
現在のようなクレジットカード産業が発達してきた背景には、前述したようなパーソナルチェックの利用が増大しすぎて、その処理が煩雑化してきたことがある。パーソナルチェックがお店から上がってくるたびに決済していたのではとても事務処理上対応できなくなってくる。このため、パーソナルチェックに代わる決済手段としてクレジットカードは欧米を中心に発達してきた。しかし、日本は制度こそ欧米のものを輸入しているが、歴史的には欧米よりも早く取り組み、独自の発展形態を取ってきた国でもある。
(販売信用の歴史)
販売信用を初めて制度化したのは江戸時代末期の文化・文政年間(1803〜1830年)の頃に、伊予国桜井村の人々が始めた「椀舟」であると言われている。伊予国桜井村は瀬戸内海に面しており、天領であったため、比較的他国との交通が自由で、人々は農閑期には舟で東は紀州から西は肥後までの間を行商した。この行商船が椀舟と呼ばれ、陶器や漆器を運んで、最盛期には30隻以上の船団を形成していた。当時漆器の会席膳は大変高価なものだったので、盆暮れ2回のいわゆる節季払いを取り入れるようになったのが最初で、これが後に無人講式販売を経て、今日のような月賦販売に発展していくのである。
明治になると、この行商船団は陸に上がり、家具や着物など高価なものを中心に種類が増え、月賦という新しいシステムが始められた。始めてこれを行ったのが愛媛の呉服店「丸善」の田坂善四郎氏だった。その後、明治大正期には丸善の流れを汲む「丸武」「丸共」といった企業が設立され、数年後には東京にまで進出する動きを見せた。ところが、大正12年(1923年)の関東大震災により、顧客や手形を失いことごとく崩壊した。そして金融恐慌、世界大恐慌、第二次世界大戦と、次々と襲う事件により、クレジット産業の発展は、終戦を待たねばならなくなった。
特に1960年にはその10年前に設立されたダイナースクラブが日本に進出し、また丸井が月賦をクレジットと改称し、日本で最初のクレジットカードを発行した。西武百貨店をはじめとした百貨店クレジットカードも登場したのもこの頃であるが、1963年には日本信販が不特定多数の消費者個人の信用に対して信用供与するシステムのショッピングクレジットを開始した。
その後、高度経済成長の波に乗って国民の所得と消費が増え、さらに国民全体が中流階級といった所得の平準化が起こり、クレジットカードは爆発的に普及した。欧米のパーソナルチェックの代替としての普及とは異なる独自の発展をしてきたといえる。
(販売信用の特徴)
クレジットカードの持つ機能を大きく分けると@クレジット機能A決済機能B金融機能C顧客情報収集機能DID機能の5つに分類することができる。決済方法を考える上で重要になってくるのは@クレジット機能とA決済機能だろう。クレジット機能とは、分割払いをはじめとした利用代金の支払いの一定期間猶予の機能であり、決済機能とは手持ちの現金を使わないでキャッシュレスで決済できる機能である。
さらに、消費者側から見た機能として、@支払手段A支出を平準化する手段 がある。@支払手段とは、相手に何の面識も持っていなくても、その人の「信用」で買い物ができる支払手段であり、A支出を平準化する手段とは、消費者が長期間の分割返済というシステムにより、高額支出を平準化することができ、ライフサイクルの中で合理的な消費計画を立てることができるようになった事を言っている。
もちろん、デメリットとしてもいくつか挙げられる点がある。まず、将来の収入を一つの信用として現在の資産以上の支出を可能にするため、インフレーションを助長しやすくなる。次に支払手段の簡便さと支出の平準化による購買意欲の増大が、長期的には債務負担の増大と貯蓄の低下を招き、家計の健全性を損なう可能性がある。さらに消費者信用は経済の好不況の振幅をより増大させる作用があると言われている。これは好況期には将来の所得の増大を予定して消費者信用の利用が増大し、過剰消費となるのに対して、ひとたび不況期に突入すれば好況期の過剰となった債務負担により可処分所得のよりいっそうの低下といった状況を現出させ、消費支出を減退させてしまうというものである。
(販売信用の課題)
@ 個人信用情報とプライバシー
現在我が国には4つの信用情報機関があるが、クレジットでの与信にはそうした機関に登録された申込者の過去の支払い実績が与信判断上極めて重要な要素になる。逆に利用者の立場から考えると、もし間違った情報が登録されていたりすると、クレジットが利用できないといった事態も考えられるわけだから、プライバシーという消費者の持つ権利に対する関心がおのずと高まっている。現在日本にはプライバシー保護法といった法律はなく、与信業者は割賦販売法と通達によってプライバシー保護を図っている。ちなみに、諸外国でプライバシーに関して立法化されているのは、アメリカ、イギリス、ドイツなどである。
A 多重債務者の更正と救済
クレジットの普及により、多重多額債務を負い、返済不能に陥る人の問題も顕在化している。クレジットは、消費生活を合理的なものにしていく上で欠かすことのできないものだが、中には不測の事態や金銭感覚の麻痺によってそのような状態になってしまう人もいる。クレジットの健全な発展を考えると、こうした多重債務に陥った人を更正、救済するための機関が必要とされる。そうした機関として昭和62年に財団法人日本クレジットカウンセリング協会が設立されたが、まだ十分な整備がなされているとは言い難い状況である。
B クレジットと消費者教育
制度としてのクレジットがどんなに整備されても、利用する側の消費者がそのことを知らないとそれらは何の意味も持たなくなるし、消費者もクレジットを利用することによって得られるメリットも十分には受けられないことになる。特に近年は消費者教育の重要性が高く認識されるようになり、それに伴ってクレジット教育も関係方面で実施されるようになった。
また、学校教育においても消費者教育を実施する方向性を固めており、平成元年の新学習指導要領では大幅な改定がなされた。
(まとめ)
販売信用という決済方法は、現在行われている消費者側の決済方法としては最も安全で簡便な方法である。こうしたシステムが注目されるようになってきた背景には経済社会の構造、消費構造、消費者意識の変化などの極めて多くの要因が関係している。しかし我が国で販売信用による決済が本格化し始めたのは、昭和50年の後半に入ってからであり、まだこれからというのが現状だろう。
預金通貨とは
まず、預金通貨とはどういう物を言うのだろうか。
預金とは、銀行等の金融機関に現金を預けることである。預金者は、預金することにより、銀行に対して預金返還請求権を持つ債権者となる。そうして、その債権を移動させれば決済は完了させうる。債権を移動させる方法としては、基本的には預金者の指示に従い、銀行が預金に関する帳簿を書き換えることによる。取引銀行が異なる場合は「銀行の銀行」である中央銀行が帳簿を書き換えることで移動できる。少しわかりにくいが、各銀行は中央銀行に預金口座を持っており、中央銀行に対しては債権者となっているのである。実際に日本では「日銀ネット」「全銀システム」といった仕組みによってオンラインで決済が処理されている。これが口座決済の仕組みであり、このように決済方法として利用できる預金のことを預金通貨と呼ぶのである。
定期預金のように、すぐに引き出したり振替に利用できない代わりに比較的高めの金利が設定される預金のことを「貯蓄性預金」と呼ぶが、むろんこのような預金は預金通貨ではない。預金者の指示によってただちに銀行が預金に関する帳簿を書き換える事が出来る預金でなければならない。主に普通預金と当座預金がこれにあたり、「要求払い預金」または「決済性預金」と呼ばれる。
これまでも述べてきたとおり、決済の基本は現金を直接引き渡すことである。ところが、多額決済や遠隔地間決済には向かないという欠点を補うため、手形や小切手、クレジットカードといった決済方法が生まれてきた。しかしこれらの決済方法を見てみると、あることに気付くだろう。初期の手形を除いては、みな金融機関に預けた預金を通して決済をしているのである。この論文では便宜上3つの決済方法に分けたが、実際は「現金通貨」と「預金通貨」の二つに分類するのが適当であろう。そして、95年における流通量としては後者が前者の3倍近くにもなっており、こうしたことから銀行は現代の決済の中核と言われるのである。
さて、預金通貨が決済手段として安心して幅広く利用される前提として、いつでも確実に現金に変えてもらえるという絶対の「安全性」が確保される必要がある。銀行が潰れてしまえば、預金返還請求権は何の価値も持たなくなってしまい、決済手段として成り立たなくなってしまう。決済のこれだけ多くの部分を占めている預金通貨の場合、この信頼性が非常に重要であるのは言うまでもなく、住専やノンバンクの経営破綻問題に関連して金融の安定性うんぬんの議論がなされるのはこのためである。こうしたことはこれまで当たり前のことだと思われてきたが、これから金融機関を通さない決済方法としての電子マネーが出てきた時、議論の中心となっていく。
決済方法
これまで、預金通貨とはどんなものかを見てきた訳だが、次に預金通貨によってどのようにして決済を完了させるのかを見てみよう。
@ 支払人起動式決済
まず、お金を支払う側が銀行に指示を出し、帳簿の書き換えを行ってもらう方法がある。これを支払人起動式決済と呼ぶが、これは「振り替え」や「振り込み」がこれにあたる。
内国為替制度が整備され、データ通信ネットワークが完備している現状では、振り込みの方法は資金決済の最も簡便な方法として利用されるようになっている。純粋に決済手段として見た場合に、事故の懸念がなく、しかもテレ為替振り込みを利用すれば専用のデータ通信によって迅速かつ確実な通知がなされ、資金化も相対的に早く完了する。だから、金融が緩和して資金に余裕がある場合には、振り込みが選好されやすいのは疑いない。さらに自動預け払い機(ATM)の設置が進んできており、この機械を利用することで振り込みの簡便さはさらに向上することもあり、今後も振り込みが多く利用されるであろう。
また、クレジットカードなどと比べると、利用可能者の裾野が大きく広がる。クレジットカードは広く普及し、利用者は多数に上っているが、やはりその性格上ある程度の信用力が必要だし、相手も加盟店に限られてしまい、個人間の決済には利用できない。ところが、振り込みによる決済は銀行に決済性預金の口座を開設しさえすれば可能になる。
むろん、欠点もある。まず、振り込みの処理は銀行に直接指示を出し、これを受けて銀行が帳簿を書き換えるという手続きを踏むため、どうしても銀行のシステム上の制約に大きく左右される。日本の場合、営業時間帯にしか振り込みは受け付けられず、ATM等により時間帯外でも指示を出すことは可能になったが、それでも実際の処理は翌営業日の営業時間に入ってからである。
また、国境を越えた支払いには向かないという欠点もある。現行の銀行間システムでは電信送金という最速のサービスを利用しても実際に入金が行われるまでには最低一日くらいのタイムラグが発生してしまい、送金にかかるコストも馬鹿にならない。
A受取人起動式決済
こちらは支払人起動式決済とは逆に、お金を受け取る側が自分の取引銀行に対して指示を出して帳簿を書き換えてもらう方法である。この場合、銀行は支払人から直接の指示を全く受けていないにもかかわらず、勝手に支払人の口座からお金を引き落とすことになる。そこで、支払人の意志を確認するための手段が必要になる。その方法の代表的なものが小切手であり、そこに書かれた意思表示とサインや印影によって安心して処理を行う事が出来る。クレジットカードや手形も同様の一方法であり、これらの特徴や問題点は前述した通りである。