中国四国一人旅

中国四国一人旅

平成9年3月10日
等寝台のチケットをとって大阪南港から高知に向かう。学生生活もこれで最後とばかりに4枚ほど学割証明書を取って万全の態勢で出発。このチケットも6090円とちょっと安くなったのだ。寝台はユースのベッドのような感じ。やる事ないのでとにかく速攻睡眠。HEYHEYHEY!!がちょっとうるさかったが、まあすぐ寝れた。(って何時に寝てんだよ!)

平成9年3月11日
知港到着!5時ごろだったかなぁ。さてではどこに行こうかなと思った時に周りを見渡すとどこもあいてない。朝早すぎたようだ。仕方ないから桂浜でも見に行こうということで、バスで桂浜に。最初からじっくり見る気もなかったので竜馬像の前で写真を撮ってもらって次のバスがくるまで何をしようかなと思ったときに目に入ったのが浦戸城の文字。「あ、こんなところに浦戸城が・・・」ということで早速そちら方面へ。

浦戸城
行ってみると坂本竜馬記念館と国民宿舎に出てしまい、おかしいなあと思っていると目の前に石垣が。説明版を読んでみるとその石垣は国民宿舎があった場所から出土したもので、国民宿舎を建てるために移築保存しているものとのこと。そしてその奥にある丘が天守跡だそうな。中世山城なのに天守曲輪があってちょうどその過渡期に当たる城と考えられているということだった。竜馬記念館と国民宿舎周辺が本丸跡ということで、ある程度石垣が移築されているとはいえ全体像を想像できなくなっている点は残念ではある。だが、戦国時代に少しでも興味のある人なら長宗我部の名前を知らない人はいないだろうから桂浜に来たのなら寄っていくべきであろう。

さて、桂浜で結構時間を食ってしまったので急いで高知城へと向かう。何といってもこの旅行の初期メインは高知城なのだ。

高知城
もうほんとに言葉が出ない。まず大手門に来た時にそこから見える景色に圧倒されてしまった。これぞお城!!という構えなのだ。もう大きさ、縄張り、御殿建築、何をとっても文句のつけようがない。登っていくと三の丸・二の丸があるが、こちらは明治になる時に破壊されてしまったとの事でただの広場になっている。そちらを横目に見ながら本丸の入り口へ。本丸の入り口?そう、まさに入り口があるのである。本丸は完全に独立した曲輪で、周りを石垣に囲まれているためにそちらに渡るには橋のようなものが必要なのだ。高知城では廊下門という門をそこに挟み込み、橋ではなく櫓として一階と二階が交差するような構造になっている。つまり二階部分を通って本丸に移動できるのである。そういうものを現実に見るのは初めてで、かつその中にある家老などの控えの間の存在が非常に珍しく感じた。そして本丸に出るとやはり日本唯一と言われる完全に残存した本丸は威厳が違う。天守閣だけではなく本丸御殿が、本丸を囲む多聞が、相乗的に迫ってくるものがある。ちょうど行ったときは遠足のシーズンだったのか小中学生やら幼稚園か保育園かという子供たちがうじゃうじゃいてて思うようにはしゃげなかったのだが、(^_^;)それをも気にせず中に入ると天守内部には余計な展示物はなく本物の木の匂いが心地よく、上では縄張りが一望できて気分は最高。その他にも完存する貴重な本丸御殿も見学でき、多聞櫓も陳列室として内部を見学できる。実際ほとんど呆然と見学してしまったので展示物などはほとんど見ていないのだが、それでも二時間以上時間がかかってしまった。とにかくお城にきてこんなに感動したのは初めての経験だった。もしまだ見ていない人は何とかしてみるべし、である。

さて、11時過ぎまで高知城にいてしまったため、観光を予定していたほかの高知の名所は全部ボツ!なんと計画性のない・・・でもまぁ、高知城が思っていた以上のものだった以上仕方のない事であろう。ということで、急いで高知駅に戻り、速攻昼飯を食って(カレー600円也)12時過ぎの長距離バスに乗り込み、松山に向かう。バスの中は暇暇だったが、ただ耐える、ひたすら耐える。こういう時に一人旅は寂しいなぁ、とか感じてしまったりして・・・(^^;;;;;松山についたらもう相当夕方だったのだが、翌日からの予定が詰まっていた事もあって無理矢理お城へ。

松山城
近世城郭だというのに結構な山の上にあるため、リフトかロープウェーで途中まで連れていってくれるが、そこからは歩き。大手門から本丸へと続く道を登っていくと急に前が開けてかなり向こうに連郭式の見事な建築群が現れる。その半数近くは重要文化財であり復元されたものもすべて木造で、ほとんど旧観に回復しているといえるのではなかろうか。ただ一つ残念なのはその規模の大きさと三層の低い天守があまりにも不釣り合いなことだ。それも五層天守の上二つを取っただけという感じのペシャンコの三層なのでそれが一層妙な感じに目に写ってしまう。まぁ逆にそれによって周りの櫓などが五層天守を想定して作られていることがよくわかり、興味深くもあったが。幕府への忠誠を示すためだから仕方なかったのだろうが、やはり残念でならない。

これでとりあえず予定は終わったという事で、予約していた松山ユースホステルに向かう。バスの中でガイドブックを読んでいるとユースがあるのは道後温泉で、町の隣にある公園は戦国大名の河野氏が居城とした湯築城跡というではないか。これは行かないわけにはいかないと、道後公園北口でバスを降り、城跡公園を登っていく。

湯築城
石垣は松山城築城の際にその礎石として持ち出され、明治になるまでは荒れ放題だったという。今はきちんと整備された公園になっており、頂上には展望台もできて東に温泉街、西に松山の町並みと城が見渡せるようになっている。ただ遺構はまったくなく、入り口のところに碑が立つのみである。道後温泉に来たついでに散歩でもしようかという感じで寄るにはいいところかもしれない。

ということで、夜も更けてきてようやくユースホステルに到着。なかなか面白いユースで、何と和室に通されたのには参った。でも結構奇麗なユースで、晩飯もそれなりに旨かった。まあここまで来て道後温泉本館に行かないわけもいかず、何と980円の霊の湯に入浴。休憩所のお菓子と日本茶がうまかった。別に普通の温泉だったけど。

平成9年3月12日
んとに予定が詰まっていたので朝早くから松山駅に向かい、学割で自宅の最寄り駅までの切符を購入。これから先は途中下車で観光をするのだ。まずは今治である。計画では駅に着いてから、次の目的地に向かうために駅に戻ってくるまで1時間半見ておけば大丈夫だろうという算段だったのだが、それがまた結構遠い。ちょっとやばいぞ。

今治城
思っていたよりはずいぶん大きな城という印象を持った。が、やはりコンクリート城の悲しさで史跡という感じは非常に薄い。隅櫓も5つのうち2つを復元しているのだが多聞が途中で切られていてなんか変。また山里櫓の入り口から入ったのだがこんなところに入り口があったのかどうかはなはだ疑問。また、三の丸はどこに行ったのだろう?小藩になった時点でなくしてしまったのだろうか?とまあ、いろんな疑問の残る城だったが、高虎らしい縄張りが印象的な城だった。ま、わざわざ降りてまで見に行く城ではないと思う。

一時間半の予定ではやはり辛い。帰りは駅まで走る羽目になってしまった。予定通りに動くというのは難しいものである。そこから特急で丸亀にむかう。今治側から丸亀の市内に入るとひときわ高い石垣が目に入り、その上にちっちゃな天守が見える。石垣が非常に高く立派なため天守は貧弱に思え、「期待外れかなぁ」なんて思いながら歩いていた。

丸亀城
櫓などは大手門を除いてすべて取り払われてしまっているので天守だけ浮いて見えてしまうのはある程度致し方ないことであるが、近くに行くと思った以上に渋く、かっこいい。天守内部には京極家ゆかりの武具などが置かれ、最上階は小藩らしくちっちゃなもので、非常に趣き深かった。そこからは瀬戸内海が見渡せ、当然ながら瀬戸大橋も一望の下である。とはいえ、この城の目玉はやはり石垣。累々と総計60メートルにも及ぶという石垣はそのウェーブも配置も優美そのもの。三の丸裏側から見た石垣と天守は撮影ポイントとしては最高ではなかろうか。高知・松山・宇和島と現存天守の多い四国では霞んでしまいがちな丸亀だが非常に趣きのあるいい城で、大いに行く価値はある。また1997年はちょうど築城400年に当たるということでさまざまなイベントがあるようだった。

さて、この日の予定は大体これで終わり。あとは宿泊予定の高松に行くだけだったのだが、ちょっと時間があるという事で一応あの有名観光地によっていく事に。

琴平
そう、海の神様を祭る金刀比羅宮である。ただひたすらある階段。でもやっぱりそこは学生。785段あるという本宮についても足はまだ元気。よしじゃあ奥社まで行ってやろうという事で、さらに500段近くある階段を勇んで登り出した。途中からさすがにばててしまったが、何とか頑張って到着。なのにちっちゃな祠のようなものがあるだけ。まあいいんだけどねぇ。で、下りはもちろん膝が大いに笑っていた(^^;;;;;ここはまあ達成感を味わうだけのものではなかろうか。お寺や神社などではなかなか感動できないのだ。ただ、その後行った金丸座は素晴らしかった。これは日本で最古の芝居小屋で、閉館時間の5時ぎりぎりに行った事もあって途中から人が急にいなくなって寂しかったが、総木造の観客席、人力での舞台演出装置、特に舞台をまわす装置のある奈落は非常に興味深かった。今度来る時は是非ここで劇を見てみたい。予習として、今度歌舞伎でも見に行こうかなあなど似合わない事を考えてみたりして・・・。

そして高松へ。高松ではビジネスホテルに宿泊。5000円というのは安いと思うのだが。

平成9年3月13日
ジネスホテルが栗林公園のすぐ近くだったため、チェックアウトしてすぐに公園に向かう。でも朝早かったせいか北入り口が開いてなくて東入り口まで歩かされてしまう。

栗林公園
高松城から1キロほど離れたところに高松藩主が何代かかけて作ったという日本庭園がある。いい公園だとは聞いていたが聞きしに勝るものだった。曇天だったのが珠に傷だったが広大な敷地に多くの池を配置し、後ろの山を借景とした本当に美しい庭園だった。朝早く行ったために掬月亭がまだ開いておらず内部を見れなかったのが残念でならない。芙蓉峰から見た雄大な景色は言葉に表せないほど。

それからもちろん高松城に向かう。

高松城
考えていたよりも断然広くてきれいな城跡だった。完全に堀に海水を引き入れているために潮の満ち干きによって堀の水が増減したり、完全に一つの簡単な橋のみでしか行けなくなっている本丸の構造が特徴だろう。天守台には社が建てられていて在りし日の最上階(五層目)が四層目より出っぱっているという特殊な天守は想像するほかはない。が、櫓は2つ残っていて、特に月見櫓とそれに付随する門が興味深い。それらはちょうど外に向かっていて、当時その外側は海であり、その門から直接城内に入れたのである。月見櫓はその名前からは想像できないが入ってくる船の監視をするためのものだったらしい。大正時代の再建らしい御殿もあるが、内部の見学はさせてもらえなかった。全体的には櫓などの中に入ることはできないため単なる散歩という形にならざるを得ないが、城ファンは必見だろう。

まあここまで来たんだからと、そんなことばかりで次に行ったのが屋島。源平ゆかりの血の海や屋島寺などがあり、屋島壇ノ浦古戦場を一望できる。が、いずれも大した物ではなく、特に古戦場は何の雰囲気もない。ただ、自然が多く、道がよく整備されているので1,2時間散歩したい時にはいいかもしれない。

屋島城
白村江の戦いで敗れた日本が造った五大城郭の一つ。(大野、基肄、長門、屋島、高安)屋島を歩いていると「→屋島城跡」という看板を見つけて立ち寄った。日本書紀に書かれており、山の中腹には石垣も見つかっているらしいが遊歩道には説明版があるだけ。石垣を見に行こうかとも思ったのだが、時間もないのでやめておいた。

で、岡山に向かう。

岡山城
13,14日は展示物入れ替えのために休業だった。まあどうせコンクリート城だから内部に入れても満足しないんだからいいようなもんだが、やはり来たからには入りたかった。でもまあ外観は文句無しに渋い。特に川のほうから見た城は五角形の突端部分が見えるため、他では見れない良さがある。(岡山城天守閣は天守台が不等辺五角形をしているため、一、二層部分が突き出た形をしていたのである。)

後楽園
日本三大名園の一つというのだから相当な期待を持っていったのだが少々行った時期が悪すぎたようだ。芝生は2月に焼いてしまったらしく一面真茶色だし、「四季の花」という説明版を見ても三月中旬に咲いている花はなく、(他の時期はどれかに当てはまっているのだが)実際ほとんど花は見れなかった。おまけに途中で雨が降り出すし、どうも後味の悪い庭園だった。真ん中に大きな池があって相当大きくてきれいな庭園だったと思われるが、今の印象は悪い。また春か夏に来てみたら印象は変わるかもしれない。

これで13日の予定は終了。ということで、宿泊予定地の姫路に向かう。姫路キャッスルホテルというビジネスホテルだったのだが、これが8500円!いやあ、高かった。

平成9年3月14日
ェックアウトしてから、姫路城に行こうかと思ったのだが朝早くて開いてない。仕方ないからまず龍野城に行く事に。ところが山陽本線竜野駅で降りて観光案内板を見てもどこにも龍野城の文字が見えないのだ。何か勘違いをしてて龍野城なんて実はなかったかな?とかちょっと思ってあきらめようかとも思ったんだが、一応聞いてみると「あー、龍野城は龍野市の方やで」・・・は??なんと山陽本線の竜野駅は竜野市にはなく、どうもバスに乗って市内のほうに行かないといけないらしい。じゃあどうして竜野駅なんだぁ?まあそれはおいといて、バスに乗ること10分ほどで龍野橋につき、そこから歩いて10分ほどでやっとお城に到着。

龍野城
立派な大手門があり、その奥に三之丸御殿と隅櫓があった。管理人さんの話だとすべて復元らしかった。脇坂氏が藩主となってからは三之丸しか使われていなかったらしいが、それ以前は山の上に天守閣を持った城郭を構えていたらしい。そちらの跡も見に行きたかったのだが赤穂にも行きたかったので急いで帰らねばならず断念。

小走りでバス停まで行ってみると何とあと三時間くらいバスがない。まさか竜野駅まで歩くことはできないし・・・どうしようかと思っていると「→本竜野駅」という表示を発見。こっちの方が近いんだろうということでその道を歩くこと15分くらい。何にも出てこないんで地元の人に聞いてみると車でも10分ほどかかるとのこと。ちょっとブルー入ってるとその人がこれから墓の掃除に出かけるから回って行ってくださるということで、お言葉に甘えることに。それでやっと駅に着いたんだが、ずいぶん予定が狂ってしまったのだった。それから姫路に舞い戻り・・・

姫路城
ただひたすらすごい城だった。どうもこの城を甘く見過ぎていたようだ。もう文句のつけようがない。みんなすごいというし、文献でもそのすごさは理解しているつもりだったのだが、そんな物ではぜんぜんキャパが足りなかった感じだ。特に西の丸の櫓の中はもう圧巻。高知城でも似たような感覚に襲われたが、本当に感動で涙が出そうだった。また当たり前のことなのだがあれだけの大天守を本当に木だけで作っているのはただただ驚くばかり。その一番の支えである二本の大柱のうちの一本は一本木を使っているというからもう二重の驚異であった。他にも現存する遺構の多さにはただただ目をみはるばかりで、写真を撮るのも忘れてただ呆然と時を過ごしてしまった。これこそが日本が世界に誇れる最大の文化遺産であると確信できる、そんな唯一のお城ではないだろうか。

好古園
これはごく最近(姫路城が世界文化遺産に登録されてから)作られたものらしく、実際に歴史的にもこのような庭園は存在していない。だから大した物ではないだろうとタカをくくって行ったのだが、これがまた捨てたものではない。流れの平庭、松の庭、竹の庭、花の庭などと、それぞれの庭に個性を持たせ、さらに姫路城を絶妙に借景として庭に取り入れることでそれぞれの庭が非常に趣き深い物になっていた。計算され尽くした美しさという気がしなくもないが、本当に美しいものはそれで評価されるべきだろう。それにこれを作るのに相当な額のお金を費やしているのは疑いようもなく、一見の価値は十分にある庭園である。

龍野城で時間を食ったためにちょっとあきらめかけていた赤穂城だったが何とか明るいうちに行けそうだったので行くことにした。

赤穂城
大手門や隅櫓などが復元されていたがなぜか本丸の中には入れなかった。中でクレーンなどが見えていたから工事中だったのか、もしくは単に時間切れだったのか、定かではない。現存する建造物としては大石邸長屋門くらいなもので、敷地内に普通の民家などがあり、縄張りもわかりづらかった。大石神社が大きなスペースを取っているなど、忠臣蔵ファンのための観光地になっている感じだった。