12月11日
ユースホステルで航空券を買って行った。結構安かったのに合わせて、宿泊クーポンが二枚付いてきたのでそれで宿泊費も結構浮く事になり、なかなかよかったと思う。11日は14:00発16:10着の航空機のため、なにもできず・・・当たり前だが・・・宿泊地に行っただけ。宿泊地は早速沖縄国際ユースホステル。まだできたばかりという事で、期待を胸に秘めつつユースに向かう。着いてみるとこれがまた奇麗で全く期待を裏切らない。那覇市内のど真ん中に位置していてこれだけ奇麗だったら言う事ない。特によかったのは風呂かな。やっぱりこれくらい大きな風呂に入りたいものだなぁ。でも1000円だった晩飯はねぇ、確かに千円にしては量は多かったけど、米がまずいし、ついてくるシュークリームはえらい甘いし、よくわかんなかったなぁ。
12月12日
この旅行、はっきり言って何も決めずに来てしまったのだ。ただなんとなく一人旅がしたいというのと、学生時代もあと少ないし長期旅行をしておきたかったというだけの話だったのだ。それでもここだけは行っておこうと決めていたのが、、、そう、首里城だったのだ。ということで、安易な気持ちでこの日やってきたのが首里城だった。しかし構造、広さ、華麗さ、共に素晴らしいの一言。第二次世界大戦で沖縄戦の本拠地になったために米軍に完膚なきまでに破壊されてしまったことが心から惜しまれる。有名な守礼の門はずいぶん前に復元されているが、本殿などの建造物は沖縄返還20周年を記念して数年前に復元されたばかり。まさに最盛期の首里城を堪能できるのではないだろうか。問題は人の多さ。特に修学旅行生がうるさいし邪魔だし、ちょっと閉口。城の周りには円覚寺あとや弁財堂・龍潭、ちょっと離れるが玉陵(たまうどぅんと読み、歴代王家のお墓である。)などがあり、こちらにはまた観光客が異常に少なくてゆっくりと観光するにはもってこいである。ところで、ある本を首里城のお土産屋で買ったのだが、この本がこの旅行を大きく決める事になった。「琉球三国志」というこれまた売れ線狙いの題なのだが、なかなかこれが読み応えあり、(上下二巻)内容も歴史好きの俺も知らないような事ばかり。学研のヒロイックノベルズという種類の本で、加藤慎司氏が執筆している。機会があったら読んでみる事をお勧めする。
さてと、城とその周りを見終わってしまって、やる事がなくなってしまい、仕方なくガイドブックを見て近くの観光地をまわる事に。福州園、護国寺、波之上宮・・・。波之上宮ではおみくじを引いてみた。「大吉」!!ところがである、中をよく読んでみると、、、『旅立ち・・・十分でない、控えよ。』おお!!神様!!
12月13日
泳ぎに来たのでないのなら、沖縄に来ていっておく必要のあるのはおのずと決まってくる。首里城には行ったのだから次は戦争の傷痕である。でもただ行くだけでは面白くないし・・・ということで、ユースでレンタサイクルをしてマウンテンバイクでまわる事にしたのだ。結局ユースから平和祈念公園までを往復したのだがこれがまためちゃめちゃしんどかった。まぁすごいね、これは。疲れるという次元を超えてたね、ケツが割れそうに痛かったし。で、ユースに帰って死んだように横になっていると、泊まりあわせた人が声をかけてくれて、「晩飯でも一緒に行きませんか?」はっきり言ってそれどころではなかったのだが、せっかくやし、御一緒することに。この日はユースで晩飯の予約をしてなかったんで、まあロッテリアかなんかでくっときゃいいかな、とか思ってたんで、渡りに船。しかも相手は社会人だったため、結構ちゃんとした琉球料理をおごってもらってしまった。ほんとにありがたかった。世の中いい人は多いねぇ。
12月14日
12,13日と、暇な夜を先述した「琉球三国志」を読みふけって過ごしていたのだが、その効果が少しずつ現れてきて、なんとなくお城巡りをしたくなってきたのだ。ということで、この日は玉泉洞に行った後、糸数城、玉城城、知念城、具志川城など山南の各城を回ることに。(山南とは琉球地方が三国に分裂して争っていた時代の南側の国の名称である。その後尚巴志が統一を果たすことになるが、巴志自身は山南の出身。王位としては中山王として統一する。詳しくは「琉球三国志」参照)
まずは玉泉洞から地図的に一番近い糸数城に向かうため、バスを待ってみるが延々来ない。近くにいた人に聞いてみると、城の近くは通らないとのこと。しかたない、歩くかとばかりに張り切って道を聞きつつ城跡に向かう。すると途中で道を聞いたある人が、「結構遠いよ。ええわ、わしが送ってったる。」ああ、なんていい人なんだ!糸数城の入り口まで車で送ってもらってしまった。で、その城だが、ぼろぼろの山城。どこまでが城だったのかさえ定かではないほど。あまり整備されていないらしく、木や草が石垣に覆い被さってきている。石垣はいわゆる野面と切り込みが混在する。「あぶない!!石垣に登るな」の標語がある。(¨;)
沖縄南部にはちゃんとグスクロードというのがあり、それをたどっていけばいろんな城が見れるということだったので、(byガイドブック)それでいこうということで、その道をたどってちょっと進むが、それがまた普通の道路で、標識も何もない。ちょっとした公園に子供連れのお父さんがいてたんで、「すんません、玉城城ってどうやって行けばいいんですか?」てな事を聞くと、「結構遠いよ。この前の道をずっと行けば着くけど」とのこと。お礼を言って行こうとしたら、「え?歩いて行くの?」「それは無理。送ってったるわ。」そんな大阪弁だったかどうか忘れたが、そんなこんなで何と送ってもらうことに。で、その城だが、小高い丘の上にあって、階段かどうかわからないほどの小道をのぼると、自然石を利用した門がある。この門がまず城ファンとしてはたまらなかった。シブイ、しぶすぎる。内部には何もないが、ちゃんとお決まりの御嶽(うたきと読む)がある。本島で言うお地蔵さんのようなものだが、今も地元の人の信仰の対象である。そしてそれに加えてそこからの景色がものすごくいい。沖縄の奇麗な海が180度逆側も含めると360度見渡せる。
そこでお礼を言って別れようとしたのだが、何とその人、親切にももうちょっと案内したると言ってくれて、新原ビーチ(グラスボートがあって、海を見れる)受水走水(大したことない)とかを案内してもらう。その後知念城まで送って頂いて、何と感謝していいやら。ほんと有り難いことでした。
さてその知念城だが、中が広く、しっかりした山城(?)である。門が二つあって、ちゃんと正方形である。ただ、新しい発見はなく、少々物足りない。すぐ近くには神女(のろと読む)の屋敷跡があり、拝所としての城がうかがえるものだった。どこもそうだが、観光客がほとんどいない。当然といえば当然なのだが、ここには一人だけ人がいてた。で、その人に頼んで入り口で記念写真をとってもらったのだが、その人は沖縄の人で、何とその人も城巡りをしているという。何と奇遇、というわけで、またまたその人の車に乗せてもらうことに。この日はほんとについてたというかなんというか。沖縄の人はいい人が多いということで。
まず行ったのは垣花城、垣花泉。お城の方はぼろぼろでほとんど見分けがつかないような状態で、泉は確かに奇麗だった。で、ミントン城を探すが、どうしても見つからず、仕方なしに斎場御嶽に行き、大獅子を経て具志川城へ行った。
その具志川城であるが、沖縄では数少ないと思われる海に面して出島のような格好で突き出た水城で、手前から三の郭,二の郭,一の郭とある。攻められて追いつめられたら海に逃げたのであろう。海に面しているため、すごく奇麗である。バスは通っていなかったと思うのでレンタカーか何かで行かなくては行けないが、一度見ておきたい城ではないかと思う。
その後その人には宿泊地のユースまで送って頂いてしまい、何とお礼を言っていいやら。なのになんとお名前すら聞くのを忘れてしまい、お礼のお手紙すら書けない。この場を借りてお礼を申し上げたいです、ほんとに。
12月15日。
移動日。でっかいリュックを背負ってバスに乗り込み、名護市に向かう。でも昼過ぎに着いてしまったため、どこ行こうかと悩んだ末国営沖縄記念公園へ。ところがこれが大失敗。最初からそんなに期待してなかったとはいえ、まぁこれはひどかった。まず水族館、最近海遊館に行ってたこともあってあまりにも小さく、あまりにもつまらなかった。次に沖縄館。これは沖縄の歴史的な風俗を紹介したものでそれなりには楽しめた。最後に植物園。これはめちゃめちゃ広いが、やはりつまらない。植物に興味がある人にはいいかもしれないが。この日はこれだけ。ちょっといらん日だった。
12月16日。
沖縄北部観光の日。まず今帰仁城(なきじんじょう)へ向かう。これがよかった。面積は首里城より広いかと思われる広大な山城で、周りを囲む長大な石垣がきれいに残る。内部も相当な広さで、北山の居城時の殿舎と、統一後の見張り用の殿舎とそれぞれの礎石が残り、興味深い。入り口の右側にあるお茶を売ってる店のおばさんが親切でいろいろ話をした。紅いもとシークワーサーをごちそうになる。確か息子さんが大阪の方に来てるとか言ってたから、もしいってそんな事を言ったら驚くのではないだろうか。「北の城」という、そのままの名前のお茶を売っていた。
その後名護市に戻り、名護市内観光。といってもヒンプンカジュマルを見て、名護城(なんぐすく)を見に行っただけ。名護城址は公園になっていて階段を上ると神社のようになっている。さらにその上に行く山道があり、20分ほど歩くと城跡がある。とはいっても石垣も何もない広場である。御嶽がいくつかと空掘が残る。で、その後沖縄の北の町辺戸名に行き、そこの民宿に宿泊。
12月17日。
結構意味不明の行動をとった日だった。何となく沖縄の最北端の町を見てみたくて「奥」という町に。ところがあまりにも何もなくて乗ってきたバスに乗って辺戸名へ帰ろうとするが、あまりにもかわいそうに思ったのかバスの運転手さんが辺戸岬でも行ってみたら?と忠告してくれ、途中で降りて岬を見に行く。なるほど観光バスがたくさん停まっていて結構な観光地であるようだった。ところが、である、まあどしゃ降りの雨。別に上の服はいろいろ持ってきてたからいいのだが、ズボンが・・・一着しか持ってきてなかったのだ。ブルーになりつつ先ほどの運ちゃんのバスに乗り込み、辺戸名の街に戻る。辺戸名では速攻名護行きのバスに乗り込む予定が乗り遅れてしまい、まさに踏んだり蹴ったり。ところが神は見放してはいない。あきらめてボーッとしてた私に誰かが声を掛ける。え?と思っているとさっきのバスの運転手さんがジープのような車の中から僕を呼んでいるのである。なんとなんと乗り遅れたバスに乗れるように追いかけてあげるから乗りなさいというのである。いやぁ、なんていい人なんだ。そんなこんなで名護市に帰るが、びしょぬれのズボンはどうしようもない。で、仕方なく取ったのが「買う」という最終手段。ということでその後ぶらぶらして過ごしたりしてたな。
12月18日。
まず名護市から那覇市に帰る。そして荷物をビジネスホテルに預けて・・・琉球の風スタジオパークへ。これが、また何というか、大失敗だった。メインは座喜味城だったのだが、近くにあったので行ってみたのだが本当につまらない。どれもこれもただの使い古しでしかないのである。スタジオパークというのは基本的にそういうものなのかもしれないが、明らかに観光客より従業員の方が多いというのは経営が成り立つはずがない。そんなことだから景観の維持すらもできないのだろう。海に浮かんでいるはずの船は、何と沈没していた。そんなことが許されるのか?まったく疑問だらけの観光地だった。
で、その後メインの座喜味城に向かって歩き出したのだが、これが結構遠い。途中でどうしようも我慢できなくなって(腹が減ってたのだ)大衆食堂のようなところに入る。沖縄は本州などと比べて食べ物が大きく違うのは有名な話で、沖縄でいわゆる「そば」は普通我々が食べる「うどん」である。もちろん「ブタの耳のチャーシューうどん」という感じで、食べてみないとこれだけは分からないだろうが。で、ここで頼んだのは「焼きそば」結構何の気なしに頼んだのだが、出てきてみると全くの焼きうどん。まぁ当然といえば当然だったんだな。で、座喜味城までの道を店の人に尋ねると、何と近くまで行くから送ってってやるという。ほんと沖縄の人はいい人が多いね。全く感動だった。で、座喜味城であるが、二重の石垣で囲まれた奇妙なカーブを持つきれいな山城。築城の名手護佐丸が築いたらしいが、きれいすぎて何だか物足りなかった。でも沖縄の城にしては現存率が非常に高く、見る価値はあると思う。なんというか、ヨーロッパの城を彷彿とさせるのである。
12月19日。
この頃になるともう既にこの旅行の趣旨がはっきりしてくる。というか、20日には飛行機に乗って大阪に帰るのだが。ま、ここまで行き尽くしてしまうと、極めたくなるのが人情というもの。あと行ってないメジャーな城は行ってしまおうということで、この日の日程は決定された。まず、勝連城である。ところがである、そんなに安易に決めてやってきたこの城だったが、なんともまあ素晴らしいのである。百姓から身を起こしたという阿麻和利(あまわり)の居城なのだが、遠くから見ても、中に入っても、とにかく素晴らしい城。石垣を修復したり、三の郭を調査したりしていたが、もし復元されたらすぐにでも飛んでいく。とにかくかっこいい最高の城。どこがどういいのかを明確には書けないのがむずがゆいのだが、僕の感覚に非常にマッチしているのだ。結構感覚で城巡りをしているのだが、その後も城巡りを延延続けているのはこの城で得たインスピレーションが大きいのではないかとすら思う。もし沖縄に行く機会があったら是非行って欲しい城である。
あと絶対に行っておかないとと思っていたのが中城城なのだが、そこに向かうバスの途中に安慶名城という城があるという。ま、ちょっと寄っていくかという感じで、立ち寄ったのだが、これがまたちっちゃなぼろ城。中は草木でうっそうとしてるし、山道は整備されていない。ただ、入り口が人口石と自然石をうまく融合させて作っており、これは一見の価値がある。こういう城が沖縄らしくて僕としては結構気に入ってた。ということで、最後のメイン、中城城である。先程書いた護佐丸が全盛期に築いたらしく、本当に豪勢に作ってある。もちろん建物などはまったくないが、縄張りなどを見ると本当にそれがよく分かる。ただ、正直な感想は先程とほとんど同じ。でっかくてすごいなあとは思うが、それ以上ではない。ただ、中にある資料館ではおばさんが懇切丁寧にいろいろ教えてくれる。近くには護佐丸の、やはりでっかい墓がある。ここに行くのもバスは非常に少ない。僕もそうしたのだが、途中からタクシーを使うのが賢明だろう。
12月20日。
飛行機で大阪へ帰宅。初めての一人旅にしてはよくできた旅行だったのではなかろうか。これに味をしめてこれ以後もちょくちょく一人旅に出かけることになったのであろう。