通貨の持つ三つの性質として、決済手段になりうること、価値を比較する基準になりうること、価値の保存手段になりうること、があるとよく言われる。しかし、本質的には先述したように一つ目の性質である決済手段にさえなり得れば通貨と呼んでいいと思う。あとの二つの性質は決済手段には自然と着いてくるものであろうし、これがなければ通貨でないというものでもあるまい。もちろん、その決済手段になりうるという性質は非常に獲得困難なものであり、現行の紙幣に至るまでに多くの紆余曲折があったことは第二章第一節で述べた通りである。
さて、電子マネーが今非常に注目されているのはこの名前から受ける印象にもよるのだろうが、それが通貨になる可能性があると感じられているからに他ならない。それがもし現在ある決済手段の補助的役割しか担えないものであるのならそれによって一大革命が起きようはずはないし、もし新たな決済手段となりうるのであれば経済の血液とも言える金流が大きく変わることになり、全世界の経済に大きな影響を与えることになるであろうからである。
では、電子マネーは通貨なのだろうか。
まず、クレジットカード番号を安全に送信して決済を完了させようとするタイプのファースト・バーチャルや、サイバーキャッシュ、SETなどは、あくまでクレジットカード決済であり、言うまでもなく通貨にはなり得ない。また、電子小切手やホームバンキング、インターネットバンキングは明らかに預金の書き換えによって決済を行おうとするもので、これも通貨にはなり得ない。ではモンデックスやe−キャッシュはどうだろうか。これらの電子マネーは、現金や預金といったリアルマネーと引き換えに発行する形態を取っているため、現在の段階ではプリペイドカードと同様に通貨とは言えないが、一度使ってしまったらおしまいであるプリペイドカードと違い、一度電子マネーにしてから何度も「同等の経済価値を有する何らかのもの」として決済を行えるところに非常に通貨に近いものを感じることができる。どちらの方式もまだまだ改善すべきことは多いが、そうした意味で多大な革新性を有していると言えるのである。
既存の通貨を移動させるための仕組みを電子的に実現したもの
まず既存の決済手段であるクレジットカード決済や、小切手決済、銀行振込といった仕組みを電子的に実現させたものが実現した場合である。第三章で見たように、これらの方式は既に実用化されているものもあり、数年のうちに世界中で更に多くのシステムの立ち上がりが予想される。そして、その実現によって支払いの簡略化にとどまらず、初期情報化社会におけるECの確立と消費者のECに対する不安の払拭といった効果が期待でき、高度情報化社会へ向けての大きなステップとなるであろう。
具体的には、電子モールなどの仮想店舗における最大のネックである決済がクレジットカード番号の送信が安全に行えるようになることで可能になり、その利点が表にあらわれるようになってその利便性が再認識されるだろう。そうして世の中に広く認知されてくれば、企業間の大口取引の決済にも拡大していくことが考えられる。企業間の取引では電子小切手や電子バンキングによる送金によってそれが可能になる。すると小さな小売店がサプライヤーと直接取引が行えるようになる可能性がある。これまでは受発注や代金決済の面で限界があり、一部大手スーパーマーケットを除いて一般の小売店には障害が多かったが、小売店間で共同購入できれば価格交渉なども大手スーパーに劣らなくなるであろう。そうして小売店とサプライヤーが直接取引ができるようになると、卸の機能は小売店やメーカーが取り込むことになり、従来の系列取引や特約店制度など、日本の流通を支配してきた複雑な商慣習にも変革が起きるだろう。また、決済にかかるコストが減少することにより、ある記事だけやある曲だけの販売、といったロットの小さい取引も可能になるであろう。このように、これらの方式が実現すれば情報化社会に向けて、ECの一部が実現していくことになろう。
通貨となりうる電子マネー
次はモンデックスやe−キャッシュ、その他のこれから開発が進むであろう通貨となりうる電子マネーが実現した場合である。先述したように、モンデックスやe−キャッシュは、現金や預金といったリアルマネーと引き換えに発行する形態を取っているため、現在の段階では厳密には通貨とは言えない。しかし、どちらの方式も現金の完全な代替を目標にしており、これからの企業や国家の取り組みによっては通貨としての役割を果たすことも十分に考えられる。また、その二つだけでなく、世界中でさらに多くの電子マネーの研究が進められており、新たな方式が登場する可能性もある。
こちらの方式は、既存の通貨を移動させるための仕組みを電子的に実現したものよりも数段実現が難しいと考えられるため、本格的に実現するのは相当先の話になると思われる。その頃にはECの一部が実現し、取引の大部分がオンラインでできるようになっていると考えられる。その上でこのタイプの電子マネーが登場すると、最も大きな影響を受けるのが銀行である。これまでのタイプは銀行のオンライン決済を利用して電子的に従来の決済を実現させてきた訳であるから、銀行の決済業務は逆に増える可能性もある。しかし、この方式の電子マネーは単体で通貨として決済が行えるようになるため、その普及が進めば進むほど銀行の決済業務は減ることになる。もちろん、何の裏付けもなく早晩電子マネーが発行されるようになるとは考えられず、また実体のない電子マネーを保管に使おうという人が増えるとも考えられないので、預金や貸し付け業務がなくなることはまずありえない。ただし、それが銀行でなければならないとは限らないし、競争が激しくなるのは避けられないだろう。
また、世界中を網羅したネットワーク上でオンラインショッピングをするのも便利になるだろう。これまでの方式だと、国内の銀行オンラインを利用することが多いため、その制約を受けることも多いだろうが、通貨としての国際的電子マネーを使えば国際的な決済も簡単にできるようになる。それは戦略的提携が国際的に広がることも意味しており、国際的な規模の製販同盟やバーチャルカンパニーといった真の意味でのECをさらに加速させることにもなるだろう。こうして、高度情報化社会が現実のものになっていくのである。
では、この論文の最初に提示した議題について考えてみよう。まず電子マネーとは、「これまでの方法を否定し、すべてに取って代わる性格のもの」となるかどうか。この可能性は完全否定することは出来ない。すべての面で現金の長所を凌駕し、世界中の消費者に選好されるような素晴らしいシステムが生まれてくればそうなる可能性はある。ただ、すべてが置き換わるとなると、現在そして将来更に乱立するであろう様々なシステムを統合し、さらに相当な信用力、すなわち実績が必要になって来る。乱立する状態ではすべての取引の基礎になる部分として現金が残るのは間違い無いし、10年や20年でそのシステムのすべての問題点を見つけることは不可能だからである。実績という意味で少なくとも一世紀、さらに自由競争が基本である資本主義経済の下ですべてのシステムを統合することを考慮すると、あと五世紀ほど見なければそうした事にはならないのではないかと思われる。
すると、「決済の一手段としてこれまでの方法と共存していく」のか、「これまでにある一方法の分野に代替する」のだろうか。これについてはこの章で述べてきたとおり、近い将来で見れば前者ということになり、徐々に信用決済や口座決済を代替し、ついには完全に代替することになると考えられる。すなわち、徐々にクレジットカードや小切手、銀行振込といった方法をそれぞれ代替していき、一つ一つが完全に代替されてしまう前にそれらの統合が行われる。それらのすべては現金決済の欠点を補足してきたものであり、これらの欠点は電子的システムをもってすればどのシステムでも補足できるはずだからである。そうして、現金決済と電子決済の二本立ての時代が来るのではないだろうか。こうした動きは手形・小切手決済の口座決済への移行など、既に様々な部分で見られる訳で、早ければ十数年ほどで実現するかもしれない。
「完璧なセキュリティの保証は不可能だから電子決済は不可能だ。」とか「銀行や卸がなくなってしまって多くの人が路頭に迷うのではないか。」といった悲観的な意見をよく耳にするが、現金も完璧なセキュリティがある訳ではないし、既に見たように私は現金決済がすべて電子決済に置き換わるのは相当先の話で、銀行や卸がなくなるなどということは考慮に入れる必要も無いほどであると考えている。そういった極論で国民の不安を煽り、これからの社会的大変革への対応を遅らせるようなことだけは避けねばならない。